北京市海淀區(qū)「唐家?guī)X中街」両側(cè)の「蟻族」集中居住區(qū)(寫真上)はもはや存在せず、見渡す限りの緑地に変わった(寫真下)。(人民網(wǎng)?孟竹撮影)
スラムとは何か?通常、スラムとは劣悪な住環(huán)境、不衛(wèi)生な環(huán)境で、犯罪発生率が高く、麻薬がはびこる貧民の避難區(qū)を指す。
スラムは1950年代以降、一部の途上國さらには先進(jìn)國の急速な都市化の過程で出現(xiàn)した、割合獨特な現(xiàn)象だ。新中國成立後の70年間で、中國は急速な都市化の進(jìn)行を経験したが、スラム現(xiàn)象が出現(xiàn)したことはない。
我々が「中國にはスラムがない」と言うと、「『城中村』は、中國の都市で中低所得の住民が集中して居住する典型的な區(qū)域だが、これはスラムではないのか?」と問う人がいるかもしれない。
以下のいくつかの角度から、この問題を分析してみよう。
形成原因を見ると、一部の途上國さらには先進(jìn)國では、農(nóng)村部住民多數(shù)が急速に都市に流入し、自発的かつ違法に自らの住宅を建設(shè)した。そして都市はこれほど多くの人々の流入を受け入れることができず、急激に進(jìn)行する都市化と産業(yè)の空洞化がスラムの形成を招いた。
中國では「城中村」は元々農(nóng)村集団土地所有制下の都市周辺部の農(nóng)村であったため、拡大する都市に呑み込まれる形となった。これについて、中國都市?町改革発展センターのチーフエコノミストを務(wù)める李鉄氏は「都市が拡大し続けるに伴い、農(nóng)村の集団所有地は都市用地となり、これは都市の拡大において必ず通る道となり、耕作用地の収容後に殘った住宅用地は都市に包囲される『城中村』となった」と説明する。
住環(huán)境を見ると、スラムは住居がひしめき合い、環(huán)境は不衛(wèi)生かつ亂雑で、生活は貧しい。また、政府はおそろかにしており、管理しようとすらしないことがあるため、違法犯罪活動の溫床となる。