日本と韓國(guó)の政府代表者が12日、日本の首都東京で事務(wù)レベル會(huì)議を開いたが、雙方の貿(mào)易摩擦の解消について進(jìn)展はなかった。そればかりか雙方は13日、前日の會(huì)議、その性質(zhì)、韓國(guó)側(cè)の代表者が日本側(cè)に輸出規(guī)制撤回を求めたかをめぐり主張が食い違い、論爭(zhēng)が激化している。
韓國(guó)側(cè)は12日、輸出規(guī)制撤回を求めたが、日本側(cè)がこれを否定した。これが爭(zhēng)點(diǎn)の一つになっている。
韓國(guó)産業(yè)通商資源部の職員は13日、韓國(guó)側(cè)は「昨日の會(huì)議で日本側(cè)に貿(mào)易規(guī)制の撤回をはっきり求めたが、この點(diǎn)について日本側(cè)と誤解があってはならない」と述べた。またある韓國(guó)側(cè)の代表者は13日、東京を離れて帰國(guó)する前に記者団を前にして、韓國(guó)側(cè)は會(huì)議中に日本側(cè)のやり方に遺憾の意を表し、規(guī)制撤回を求めたと発言した。
ところが日本の経済産業(yè)省の巖松潤(rùn)氏は記者會(huì)見で、「議事録をチェックしたが、韓國(guó)側(cè)は(規(guī)制)撤回をはっきり求めていなかった。日本側(cè)に輸出規(guī)制の原因について説明を求めただけだ」と述べた。
日本政府は今月1日、韓國(guó)に輸出する半導(dǎo)體工業(yè)材料の審査と管理を強(qiáng)化し、韓國(guó)を貿(mào)易の「ホワイトリスト」から除外すると発表した。雙方は本件について12日の會(huì)議で初めて接觸した。日韓が代表者を各自2人派遣した。
12日の會(huì)議の「性質(zhì)」は日韓の相互協(xié)議だったのか、それとも日本側(cè)の韓國(guó)側(cè)への説明だったのか。これが2つ目の爭(zhēng)點(diǎn)だ。
巖松氏によると、「會(huì)議の性質(zhì)は協(xié)議ではなく、韓國(guó)政府からの要請(qǐng)を受け日本側(cè)が説明する場(chǎng)だった」という。また、韓國(guó)側(cè)の関係者が會(huì)議を「協(xié)議」としていることについて、日本側(cè)は「是正を求めたい」と述べた。
日本側(cè)は韓國(guó)側(cè)に全面的に説明しており、規(guī)制実施前に韓國(guó)側(cè)に通知を出したとしているが、これらは韓國(guó)側(cè)から否定された。韓國(guó)側(cè)は日本の輸出規(guī)制措置を疑問視し、納得できる証拠や理由を出すよう日本側(cè)に求めた。
韓國(guó)が再協(xié)議を提案したかをめぐり、雙方の主張が食い違っていることだ。これが3つ目の爭(zhēng)點(diǎn)だ。
日本側(cè)によると、韓國(guó)側(cè)はこれを提案しなかった。ところが韓國(guó)側(cè)は、今月24日前に新たに対話することを「何度も提案した」と主張している。ただし日本側(cè)が提案を受け入れるか明確な態(tài)度を示さなかったという。
ロイター通信によると、12日の會(huì)議は小さな會(huì)議室內(nèi)で行われたが、雙方は挨拶を交わさなかった。日本側(cè)の代表者は韓國(guó)側(cè)の代表者が入場(chǎng)した際に立ち上がらず、お辭儀もしなかった。日本側(cè)はその後、雙方の代表者は會(huì)議前に顔を合わせ、挨拶をしていたと説明した。
韓國(guó)メディアによると、韓國(guó)側(cè)の代表者は冷遇され、會(huì)議は「車庫(kù)」のような部屋の中で行われた。會(huì)議の雰囲気は「非常に緊張」し、雙方の代表者は目を合わせようとせず、開會(huì)時(shí)に握手し挨拶することもなかった。
日本側(cè)が輸出規(guī)制の実施を宣言すると、韓國(guó)側(cè)は日本側(cè)に何度も規(guī)制撤回を呼びかけ、かつ徴用工判決に対する報(bào)復(fù)であると批判した。日本側(cè)は「報(bào)復(fù)」を否定し、規(guī)制の撤回を拒否している。
韓國(guó)の裁判所は昨年より日本企業(yè)3社に対して、戦時(shí)中に韓國(guó)人労働者を強(qiáng)制徴用したことについて賠償を命じる判決を下した。日本政府は両國(guó)が1965年に締結(jié)した「日韓請(qǐng)求権協(xié)定」により、賠償問題は「解決済み」との立場(chǎng)を貫いている。
「中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット)」2019年7月15日