結(jié)婚は、既婚の人は抜け出したく、未婚の人は結(jié)婚したいと感じるようなものだが、母親になるということは、車で狹い路地に入っていくようなもので、多くの場(chǎng)合、進(jìn)退窮まり、身動(dòng)きが取れなくなるようなものだと言ってもいいかもしれない。
張さんと夫は、卒業(yè)後すぐに結(jié)婚した。仕事がまだ不安定だった時(shí)期に彼女は妊娠し、彼女の母親が子育てをサポートしてくれたが、それでも仕事への影響は避けられなかった。2度の転職を経て、今は求職中の身だ。再就職するには心配の種も盡きない。もし就職試験の準(zhǔn)備をしようと思ったら、2週間ほど子供を預(yù)けなければならないという。
張さんがより身につまされたことは、子供を産み落としたその瞬間から一生、その子供に対する責(zé)任を負(fù)わなければならないことだ。これは、自分の優(yōu)先順位が変わることを意味する。個(gè)人としての自分よりも先にまずは息子の母親でなければならないからだ。
〇母親が背負(fù)うべきものとは?
「君に休みを取る必要があるのか?」
これは映畫「半辺天」インド編のヒロインであるインド人の専業(yè)主婦が1ヶ月の休暇を取りたいと言い出した時(shí)に、仕事に忙しい夫が顔を上げて問(wèn)い返してきた言葉だ。
彼女は、思わずムッとしたように、「私に休みは必要ないっていうの?あなたたちの面倒を見(jiàn)る以外に、私には自分自身の時(shí)間は必要ないということ?」と反論した。
このインド人夫妻が交わすやりとりは、わたしたちの日常でも身近に生じている類のものだ。
なぜ慌てて母親になる必要がないのかとするのは、どうして母親はこれほど多くの責(zé)任を負(fù)わなければならないのか、そして一體誰(shuí)がこうした母親を「解放」してくれるのかといった問(wèn)題をまずは解決しなければならないからだ。