米國の首都ワシントンで現(xiàn)地時間6日、暴力的デモが発生した。デモ參加者の一部が連邦議會議事堂に突入し、上下両院合同會議は中斷を余儀なくされた。これにより、抗議者4人が死亡し、警察官1人が重傷を負った後に死亡した。(文:柳華文?中國社會科學(xué)院人権研究センター執(zhí)行主任、國際法研究所副所長。人民日報掲載)
米國は一貫して、他の國や地域でこうしたいわゆる市民による抗爭が出現(xiàn)するのを歓迎し、それによる騒亂や社會的動揺、正常な社會秩序に対する妨害や破壊、他者の人身や財産の安全に対する脅威や損害、公共交通と政府機関の建物や設(shè)備及び人員の安全に対する破壊や攻撃を無視し、さらにはこうした暴挙を「美しい光景」と描寫さえしてきた。國際機関で人権問題を擔(dān)當(dāng)する特定の高官や専門家も一部の西側(cè)メディアと同様に、いわゆるポリティカル?コレクトネスを支持しており、特に中國など発展途上國に関わる際には、市民の側(cè)であれば正しく、政権批判であれば理にかなっていると考える。彼らにとって、人権はいつでも他國政府を非難する道具や武器にできるようだ。このような絶対化思想は法的論理性を欠き、法治の精神に完全に背いている。人権はスローガンでも単純な政治的レッテルでもなく、法的意味を備えており、権利、義務(wù)、責(zé)任の境界線がある。
人権、法治、発展は社會の発展プロセスを評価する重要な尺度だ。人権の尊重と保障は法治が本質(zhì)的に追求するものであり、発展の內(nèi)在的目標である。これと同時に、人権の発展が具體的國情から離れることがあってはならず、法治による支えと保障が不可欠だ。
中國の香港特別行政區(qū)で発生した「條例改正をめぐる騒動」によって引き起こされた長期間にわたる大規(guī)模な社會的動亂は、香港地區(qū)の政治制度と特別行政區(qū)政府を標的にしたものであると同時に、中國全體の國家的統(tǒng)一?安全を標的にしたものでもあり、香港地區(qū)の政治?社會?経済秩序を直接的に破壊した。いかなる法治社會であれ、法律に対するこのような直接的で粗暴かつ重大な蹂躙行為を容認することはない。香港特區(qū)政府及び警察當(dāng)局は、米國やその他西側(cè)諸國、國際機関で人権問題を擔(dān)當(dāng)する特定の高官や専門家による不當(dāng)な指摘や非難を含む多大な圧力を受けながら、極めて強い忍耐と自制を保った。特に一國主義と「管轄権の域外適用」を推し進める米國は、議會で法案を可決し、香港地區(qū)及び関係する高官に制裁を科して、他國に対する重大な內(nèi)政干渉と主権侵害を行い、他國の機関?企業(yè)?公民の合法的権利?利益を深刻に損なった。
米ワシントンで発生した暴力的デモ活動は長く続かなかったものの、米國各界の反応は強かった。米國の政界要人は次々に発言し、その違法性及び容認できないことを強調(diào)した。米大統(tǒng)領(lǐng)報道官はテレビを通じた聲明で、強い言葉で暴力行為を非難し、法律を犯した者は法的に最も厳しい罰を受けるべきだと表明した。かつて香港地區(qū)の社會的動亂について「美しい光景」とコメントしたペロシ米下院議長は別人になったかのように、この事件を米國及び米國民に対する言語道斷の攻撃と呼んだ。米政府は抗議者や議事堂突入者を多數(shù)逮捕するとともに、様々な罪名で起訴する準備をし、立場を鮮明にし、果斷に行動し、厳しく対処している。これは以前他國で起きた似通った事件に対する彼らの態(tài)度とは鮮明なコントラストを成すものだ。同様の暴力的デモ行為に対する扱いでも、米國が國內(nèi)と國外、異なる國や地域の間で示したダブルスタンダードは余りにも明白だ。
米國や他の西側(cè)諸國の政治屋に対して、民主や人権の問題においては法的論理性が重要であり、終始一貫して法治を尊重しなければならないと、注意を促したい。(編集NA)
「人民網(wǎng)日本語版」2021年1月14日