中國の巖壁畫研究者はこのほど內(nèi)蒙古(モンゴル)自治區(qū)巴彥淖爾(バヤンノール)市磴口県で、約5000年前の紀元前の蹴鞠を描いた巖壁畫を発見した。専門家は、「これは陰山巖壁畫としては初めての発見で、紀元前に現(xiàn)地の住民が蹴鞠の技術(shù)とルールを知っており、組織的に蹴鞠を楽しんでいたことを裏付けた」と指摘した。新華網(wǎng)が伝えた。
內(nèi)モンゴル師範大學(xué)鴻徳學(xué)院中國北方巖壁畫研究所の専門家?呉甲才氏は4日、取材に応じた際に、「この紀元前の蹴鞠の巖壁畫は、研究者が磴口県狼山格爾敖包巖壁畫群を調(diào)査した際に発見したものだ。図案の中で、一人が飛び上がり球を蹴る格好をしており、周囲の人々は異なる姿勢をとっている」と説明した。
呉氏は、「古代人が巖壁畫にこの一幕を記録したのは偶然や思いつきなどではない。この巖壁畫は、格尓敖包巖壁畫群の『三皇像』の下に描かれている。古代人は三皇に食べ物を捧げ、スポーツを楽しんでもらおうとした」と指摘した。「中國巖壁畫の父」と呼ばれる蓋山林氏は、この巖壁畫は早期青銅時代から新石器後期のものであるとし、今から約5000年前のものと判斷した。
蹴鞠は古代中國の民間、國家の軍隊で広く流行した技能?スポーツで、今日のサッカーの起源となっている。蹴鞠は中國北方の重要文化としてその他の民族に影響を與え、徐々に世界に伝わっていった。
専門家は、「この巖壁畫から導(dǎo)き出された結(jié)論によると、蹴鞠は新石器時代後期に形成されていたことが分かるが、殘念ながらこれを記載している古文書が存在しない。戦國策は2300年以上前の春秋時代、斉國の都城の臨シで蹴鞠が流行していたことを記録している。史記にも、蹴鞠は國家の軍隊が兵士の基礎(chǔ)體力と技術(shù)を訓(xùn)練する、基礎(chǔ)的な訓(xùn)練課目の一つであったと記載されている」と語った。
呉氏は、「巖壁畫と古文書は、華夏民族の蹴鞠が數(shù)千年を経て発展したことを記録している。唐?宋の時代には興隆期に入り、清朝中期から衰退し始めた」と語った。
蹴鞠は中華民族の無形文化財として、2006年に國務(wù)院の批準を経て、國家級無形文化財リストに入選した。(編集YF)
「人民網(wǎng)日本語版」2014年7月8日