八雲(yún)のように仕事に打ち込み、殘業(yè)をして、生きがいを見つけるか、それとも東山のように仕事をきちんとこなしながらも定時に帰り、生活を楽しむかは、個人の自由であって、どちらが正しくて、どちらが間違っているというものではない。しかし、「996」は、決して個人の選択ではなく、個人の自由、権利を奪う勤務(wù)スタイルと言わざるを得ない。
中國で「996」という殘業(yè)が當(dāng)たり前の勤務(wù)スタイルを受け入れざるを得ない人がますます増えているのは、収入を増やすためでもなければ、生きがいをそこに見出しているからでもなく、リストラされて収入がなくなるのを恐れているからだ。「996」が本當(dāng)に経済成長につながるのであれば、皆が必死になってまじめに働き、倹約すればそれを?qū)g現(xiàn)でき、「明るい未來のために」と自分を慰めることができる。しかし、最も基本的な経済の原理は、リストラや低賃金は消費の低迷をまねき、需要や市場がなければ、経済が回復(fù)するどころか、一層悪化するだけであることを教えている。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2019年4月25日