スタートのピストルが鳴ると、スタート臺に「立って」いた銭紅艶さんは、両腕に力を入れて飛び込み、1分51秒96の成績で2位に食い込んだ。
身體障害者スポーツ大會?スペシャルオリンピックスがこのほど、陝西省で開催され、競泳女子100メートル平泳ぎ(運(yùn)動機(jī)能障害SB5)で、「バスケットボール少女」として知られる銭さんが銀メダルを獲得した。試合後、銭さんは、「はじめは出遅れたけど、ちょっとずつ追い上げることができた」と、予想以上の成績に満面の笑みを浮かべた。
大事故が原因でバスケットボールが足代わりの生活に
1996年に、雲(yún)南省曲靖市陸良県の普通の農(nóng)家に生まれた銭さんは、4歳の時(shí)に、トラックにひかれる大事故に遭い、骨盤から下を切斷されてしまった。銭さんが學(xué)校に通うことができるようにと、祖父はバスケットボールを半分に切り、中に綿をつめて、銭さんの下半身に付け、さらに両手を支えることのできるコテのような木製の道具を作って、彼女が「歩ける」ようにした。そこから彼女は「バスケットボール少女」と呼ばれるようになった。
その時(shí)から、笑顔が素?cái)长输Eさんは、苦難に直面しても下を向くことなく、數(shù)え切れないほどのバスケットボールが擦り切れるほど「歩き回り」、一歩一歩明るい未來に向かって歩んできた。両足を失い、半分に切ったバスケットボールを下半身に付けて「歩く」銭さんの姿に、多くの人が感動し、銭さんは各界からサポートを手にした。
「バスケットボール少女」から「トビウオ」に変身
11歳になった年、銭さんは雲(yún)南省身體障害者水泳チームに加わった。両足がないため、水の中でバランスを取るのは至難の業(yè)だった。「両足がないというのは舵のない船のようなもの。水の中では方向感覚がなくなり、左右に流れやすく、スピードにも影響が出る」と銭さん。そのため、コーチは銭さんのために、特別な練習(xí)方法を編み出した。
2007年9月11日、水泳の練習(xí)をする銭さん。
その頃、銭さんは毎日、4時(shí)間以上練習(xí)を続けた。また、鉄アレイを使って腕を鍛えたり、シットアップをしたりした。さらに、練習(xí)の合間にも、暇を見つけては、腕を鍛えたり、平衡感覚を鍛えたりした。こうした必死の練習(xí)が実り、水泳はどんどん上達(dá)し、水泳によって山村から世界の舞臺に立つようにもなった。
2009年、銭さんは雲(yún)南省第9回身體障害者スポーツ大會で金メダル3枚を獲得したほか、18歳以下の身體障がい者が出場する全國水泳選手権でも金メダル1枚と銀メダル2枚を獲得した。また、2016年のブラジルリオデジャネイロパラリンピックにも出場し、競泳女子100メートル平泳ぎで9位に入賞した。2019年の天津身體障害者スポーツ大會では、競泳女子400メートル(運(yùn)動機(jī)能障害S7)で、銅メダルを獲得した。
「バスケットボール少女」から、「トビウオ」へと変身した銭さんは、雲(yún)南省曲靖市陸良県の身體障害者聯(lián)合會で働く機(jī)會も得た。
銭さんは、「身體障がい者だからといって、不具とは限らない。身體障がい者のために何かをしたい。一人でも多くの身體障がい者が勇気を抱き、実際の行動で人生の価値を証明し、社會に貢獻(xiàn)し、自分らしく生きることを願(yuàn)っている」と話す。(編集KN)
「人民網(wǎng)日本語版」2021年11月2日