「ともに背負(fù)う:中國(guó)侵略戦爭(zhēng)の責(zé)任をめぐる日本人父子の対話」は夏真っ盛りの日、ついに出版された。日本では同時(shí)期、人々が立ち上がるに至る重大事件が起こっていた。(文:盧新寧)
日本の連立與黨が7月16日、多數(shù)議席を占めることを利用し、集団的自衛(wèi)権を解禁する安保法案を衆(zhòng)議院本會(huì)議で強(qiáng)行採(cǎi)決したのである。日本メディアにも「平和の衣を著けた戦爭(zhēng)法案」と批判されるこの法案だが、安倍晉三首相らの後押しを受け、封印された箱からまさに飛び出そうとしている。慰めとなるのは、日本人の半數(shù)以上が憲法解釈変更に反対し、國(guó)會(huì)周辺と全國(guó)各地には人々が集まって抗議をしていることだ。東京大學(xué)教授で社會(huì)學(xué)者の上野千鶴子氏は、「今怒らないで、いつ怒るの。このまま法案が通れば、子どもたちに顔向けができない」と聲を上げた。
この言葉は、無(wú)數(shù)の一般の日本人家庭の感覚を言い當(dāng)てている。侵略戦爭(zhēng)は日本にとって隠すことのできない歴史上の罪であり、日本がその歴史的責(zé)任から逃れることはできない。自らの歴史に向き合うことができるかは、國(guó)家にとって、間違った道を進(jìn)むことなく、本當(dāng)の「普通の國(guó)」になることができるかということである。また一般の家庭にとっては、良知に背くことなく、「普通の暮らし」を送ることができるかということである。國(guó)家の意志は、多くの一般の人々の思想や行動(dòng)を変える力を持つかもしれない。だが個(gè)人の表出と努力もまた、國(guó)家の進(jìn)む方向を左右し、調(diào)整する力を持つ。侵略戦爭(zhēng)にまつわる記憶と思索を普通の日本人に知らせ、侵略の責(zé)任が一般の家庭でいかに対話され反省されたかを示すことは、だからこそ一層重要なのである。
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