イラスト作成?譚希光 |
ロシアとウクライナという隣同士の兄弟國が干戈を交える事態にまで至るには、米國の「貢獻」が不可欠だった。
冷戦後、米國は「世界覇権」と「絶対的安全保障」の確立を図り、様々な手段でロシアを封じ込めていった。米國がロシアの戦略的安全保障におけるウクライナの重要性を明確に認識していたからこそ、不幸にもウクライナは米國のロシア対処の「橋頭堡」にされたのだ。
米國はNATOの5回にわたる東への拡大を主導して、ロシアの地政學的空間を圧迫しながら、ウクライナで「カラー革命」と「マイダン革命」を策動して、親西側勢力のロシアへの対抗を支援してきた。また、米國はウクライナにNATO加盟という実現できない約束をし、ロシアに対して最大限の挑発行為をはたらいてきた。
米國のトゥルシー?ギャバード前下院議員は「実はバイデン大統領がウクライナのNATO加盟を認めないことを保証するだけで、ロシアとウクライナの紛爭勃発は阻止できたのに、米國はそうしなかった」と指摘する。
米國がウクライナを扇動し続けたことが、ロシア?ウクライナ紛爭勃発の根本的原因なのである。(編集NA)
「人民網日本語版」2022年5月10日