今年3月末、東京池袋にある劇場での出來事だった。その日、會場は満員になり、午後1時半から4時15分まで、間の15分の休憩を除いて、3時間近くの上演中、誰も席から動くことなくはなかった。(文:陳言。瞭望東方週刊掲載)
上演されていたのは中國の作家?余華さんの長編小説「兄弟」の舞臺版だ。
上演が終わり、余さんが舞臺に上がると、會場は拍手に包まれた。
「日本の腳本家や役者が、私の小説で描寫されている物語を、こんなに細(xì)やかかつリアルに演じてくれるとは思ってもみなかった」と余さん。
確かに、「兄弟」が描寫しているのは中國の改革開放(1978年)前後の數(shù)十年に起きた社會の大きな変化で、安定した構(gòu)造の社會で生活している日本人にとっては、そのような変化は想像もつかないだろう。しかし、小さな個人の大きな変革におけるさまざまな運命を描いたこの舞臺は、日本人に理解し、感動してもらうことができた。
兄弟二人のうち、兄は國営企業(yè)を退職することになり、商売を始めるものの失敗。一方、工場の下請けをしている弟は、順調(diào)に商売を拡大し、海外事業(yè)にまで手を伸ばすなど、大成功を収めていた。
政治、経済の大きな波はやがて過ぎ去り、家族への思いや人生の意義、そして失われた命が、どんなことがあっても、兄弟は兄弟であることに気付かせてくれた。
「兄弟」で描かれているのは中國人が経験した人生の起伏であるものの、経済の起伏やバブルの崩壊などを経験してきた日本人にとっても、決して他人ごとではない。