日本に著いたばかりの數日間は、毎日食べたりなかった。高級中國レストランで開催された宴會に參加したが、味はさて置き、目の前の皿の料理がすっかりなくなっても、従業員は2つ目の皿をなかなか持ってこない。日本式の火鍋に行くと、6人掛けのテーブルの上に載っているのは、一皿の肉と野菜だけで、殘りはうどんのしゃぶしゃぶだった。
日本ではゴミ箱を捨てるのも、一つの蕓術的な行為となる。日本の街には基本的にゴミ箱は置いていない。ミネラルウォーターのペットボトルを捨てるにも、指定の回収箱に入れなければならない。しかも蓋は別のゴミに分け、ボトルの包裝紙もまた別に捨てる。日本で數日間滯在すると、我々もゴミをホテルに持ち返り、従業員に我々が捨てたゴミを再度分類して処理をしてもらうことに慣れてしまった。
ここまで書いた內容に、愚癡の意味はまったく込めていない。その逆で、このような「事足りればいい」という生活スタイルに深く胸を打たれた。資源が比較的乏しい國で、人類がいかに資源を大切にし、資源を最大限、再利用しようとしているのを見ることができた。実際、いずれの國にとっても、地球は一つだけしかないものだ。もし、日本のように環境に優しく省エネであれば、環境はもっと良くなることだろう。(編集MZ)
「人民網日本語版」2015年4月24日