両國(guó)の相互理解のために各地を奔走
女優(yōu)として最も活躍していた時(shí)期に、仕事のあい間を縫って中日友好交流にも勵(lì)んでいた中野さん。中野さんは中日両國(guó)の相互理解促進(jìn)のためにはまず、自分で観察し、自分で體験し、相手の國(guó)の自然や社會(huì)、文化、歴史を?qū)Wび、相手の國(guó)で人々がいかに暮らし、どのような困難を抱え、どうすれば互いに協(xié)調(diào)し合えるかを知ることが大切だと語る。中野さんはそのために、これまで37年間にわたって數(shù)十回も中國(guó)を訪れ、各種の交流活動(dòng)を各地で行ってきた。
中野さんも、中國(guó)との交流を始める前には、中國(guó)をよく知らず、不安に思うこともあった。だが「中國(guó)に來ているうちにその大陸の大広さは日本人にはなかなか想像できない。中國(guó)の直面する困難の大きさも」また「現(xiàn)地の人々と觸れ合って初めて、単純に見えることが複雑であること、中國(guó)にも幾つかの良い所があることを知った」。古都?西安を訪れた時(shí)には、兵馬俑や清華池など教科書でしか知らなかった遺跡を訪れ、「數(shù)千年前の世界に入り込んだような感動(dòng)を味わった」と中野さん。
中野さんは、未來を切り開くためには歴史を知らなければならないと語る。抗日戦爭(zhēng)の舞臺(tái)となった多くの戦場(chǎng)も訪れ、當(dāng)時(shí)の悲しく苦しい歴史にも理解を深めた。中野さんはかつて戦場(chǎng)だった土地の近くに、中日相互理解のための館を作れないかと考えるようになった。だがそうした考えが中國(guó)側(cè)と日本側(cè)の理解を得られるかどうか、どうすべきか考えた。
「館を作り維持するのは簡(jiǎn)単なことではなく、若い人達(dá)とも一緒に話し合い、「良いことだ」と勵(lì)まされたこともあった。こうして秦皇島盧竜県の學(xué)校設(shè)立プロジェクトは、始まった。學(xué)校の名前をどうするかも迷った。最初は「真由美」か「真優(yōu)美」の入った名前にしようと思ったが、それでは日本人には何のことかわからない。「學(xué)校を設(shè)立する目的は、中日両國(guó)の人々が互いに理解し合うこと。そのためにはどちらの國(guó)の人にもわかりやすい名前でなければならない」。結(jié)局、少し照れくさかったが、「盧竜県中野良子小學(xué)校」という名前にした。
中野さんは、中日両國(guó)に大きな違いがあることを知らなければならないと語る。交流している過程で一方の考えにこだわれば、矛盾は大きくなるばかりで、大きな爭(zhēng)いにもなり得る。「私たちにできるのは、より交流しやすい環(huán)境を作ること」と中野さんは語る。
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