「慰問」とは人として備えておくべき素養
熊本地震の発生後、一部のネットユーザーは人の不幸は蜜の味とばかり、日本がかつて中國に対し犯した罪を理由に、理知的でも人道的でもないコメントで愛國心を表現しようとしている。
あるメディアは「同じ人間として、ある民族の喜びが別の民族が天災で受けた苦しみによるものであってはならない。ある民族が別の民族からかつて奪われた尊厳を取り戻そうとする場合、それは天災にあった彼らに喝采して喜ぶことではない。このような愛國の行為は、実のところ自分の民族を動物のレベルまで引き下げるような行為だ」と評している。
于氏も「少數の非理性的な意見が、中國の大多數の民衆の聲を代表することはできない。ほとんどの人々は理性的だ。天災の前には國旗も人間性の別も無い。たとえ見知らぬ人であっても、困難にあっては、同情し、助けるだろう。災害に見舞われた日本の民衆を慰問することはごく普通の人が當然備えているべき素養なのだ」と語った。
また復旦大學日本研究センターの郭定平センター長は取材に対し「日本が當時、中國を侵略した事実が存在する以上、一部の人々がある種の原因から感情的になることは理解できる。しかし、天災を前に、人々は感情を抑制する必要がある。日本の地震という不幸に喜ぶのは愛國表現ではなく、中國のイメージを損なうものであり、無責任なやり方だ」と語った。