中國人は、國の重大事件に由來する名前を自分の子供につける傾向にある。これは、その子が生まれた時代の「栄光」を名前の中に殘したいという願望のみならず、「國の繁栄にあやかり、わが子も成功への道を歩んでほしい」という親としての期待の現れでもある。「建國」「解放」「援朝」「躍進」といった言葉はいずれも、動詞ではなく、ごく普通の中國國民の名前なのだ。
○新中國成立期
中華人民共和國(新中國)が成立した後、「建國」「建華」「國強」などの名前が流行した。全國公民身分証番號検索サービスセンターの統計データによると、「建國」という名前の主は全國で96萬人を上回る。「建國」さんは、1900年から1909年はわずか17人だったが、1949年以降急増する。1949年生まれの「建國」さんは8240人、1950年代には23萬人を上回り、1960年代に入ると29萬人を突破、ピークに達した。新中國が誕生し、新しい政治體制が形成される時期、中國國民は、國家に対して大きな期待を抱き、「國民が國家の主役になる」という強い願望を持っていた。「民主」の2文字を含む名前の主のうち、約6割がこの時期に生まれた。また、當時は、家庭の子供たち全員に、時代のトピックスが反映するような名前をつけることが流行した。
○抗米援朝期
「抗米援朝(米國に対抗して朝鮮を支援する)」期になると、人々は続々と、それに関連が深い文字を名前に取り入れ、「援朝」「抗美」「衛國」などの名前が流行した。大まかな統計によると、「張衛國」、「李衛國」、「王衛國」さんは1萬人以上、「李援朝」、「王援朝」、「張援朝」さんは1千人近くいる。中國人民解放軍の朱徳?元総司令官も、初孫に「援朝」と命名した。たとえば、苗字が「張」さんの場合、現在、493人の「張援朝」さんがいるが、このうち442人が1960年代以前に出生しており、全體の約9割を占めている。