選手にとってサッカーは仕事、サッカーファンにとっては趣味だ。しかし、ある人々にとって、サッカーとは一生の伴侶ともいうべき存在だ。ワールドカップ2014ブラジル大會(W杯)を取材している現(xiàn)在89歳の日本人記者?賀川浩氏は、國際サッカー連盟(FIFA)が認(rèn)めるW杯ブラジル大會の現(xiàn)役最年長記者だ。60數(shù)年にわたるサッカー報(bào)道の人生で、賀川氏はサッカー記者としての伝説を作り続けてきた。成都商報(bào)が伝えた。
FIFA公式サイトの「FIFA.com」は23日、「オールドマスターの長い旅」と題する賀川氏のインタビュー記事を掲載した。89歳という高齢にもかかわらず、賀川氏は頭の回転が速く、かくしゃくとしている。これについて、賀川氏は、「恐らく、しょっちゅうボールを蹴って、あちこち走り回っているからでしょう」と語る。
ブラジルW杯を取材する日本報(bào)道団の中でも、いたるところで若い記者が立ち上がって大先輩の賀川氏におあいさつをしたり、教えを請う姿が見られる。「今でもW杯を取材するのは、主に個人的な楽しみのため」と語る賀川氏は、現(xiàn)場でサッカーの喜びを感じられることだけで、満足なのだという。
■「サッカーは日本を救う」
大歓聲に包まれたブラジル北東部レシフェのアレナ?ペルナンブーコの試合會場で、眼鏡をかけた賀川氏は手に一冊のノートと鉛筆を握り、記者席に座って靜かに試合を見ていた。若い頃サッカー選手として活躍した賀川氏は、第2次世界大戦後、失意にある日本を救うことができるのはサッカーだと考えた。「サッカーは非常にポジティブなスポーツであり、サッカーは日本を救うことができる」として、「いつか日本は努力してワールドサッカーのトップクラスに入り、サッカー強(qiáng)豪國の1つになるに違いない」と考えていたという。1900年の中頃、サッカーは日本ではあまり人気のないスポーツで、明らかに野球やラグビーよりも地位が低かった。後に産経新聞のスポーツ欄擔(dān)當(dāng)の記者となった賀川氏は、「當(dāng)時、多くの人がサッカーというスポーツに自信を持てずにいた。國土の狹い日本でサッカーなど上手くなるはずがないと考えていたからだ」と語った。
■日本選手はかつて中國と引き分けで涙を流した
W杯C組の初戦、日本がコートジボワールに1対2で敗れた日、プレスセンターで伝説の記者、賀川氏に會った。すでに89歳という高齢の賀川氏だが、しっかりとした話し振りで、自身が好きなサッカーと60年以上の記者人生について話し始めた。
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