ロシアは18日、クリミアのロシア編入を宣言した。ウクライナ危機(jī)は一段と國際世論の嵐の中心となり、様々な聲が飛び交っている。ロシアの「大國の野心」がついに現(xiàn)れたという人もいれば、米國が「最後の勝者」になるだろうという人もいる。……こうした言い分の著地點(diǎn)がいずれも「勝つか負(fù)けるか」の時(shí)代後れの思考であり、選択的認(rèn)識(shí)の偏りを露呈するもので、いずれも間違った「一面論」であることに目を向けるべきだ。
ウクライナ問題の認(rèn)識(shí)には全局的観點(diǎn)が必要であり、現(xiàn)在に目を向けると同時(shí)に、歴史的原因も考慮する必要がある。一面的な認(rèn)識(shí)、単純化した処理は現(xiàn)実的姿勢(shì)ではないし、ましてや問題の解決にはならない。
「各時(shí)代の経済生産およびそこから必然的に生じる社會(huì)構(gòu)造は、その時(shí)代の政治的、精神的、歴史的基盤である」。基盤が堅(jiān)固でなければ、地は動(dòng)き、山は揺れる。ウクライナの長期的混迷は、ソ連崩壊という「政治的斷層帯」でのモデル移行の後遺癥を物語っており、解決にはまだほど遠(yuǎn)い。言い換えるなら、根本的問題が解決されていないことが、ウクライナの社會(huì)構(gòu)造の脆弱性を決定づけている。そのため、歴史的に形成された経済的欠陥、民族的多様性、アイデンティティの未統(tǒng)一はいずれも、少しの異変でもあれば、もめ事の導(dǎo)火線に転化しうる。混迷するウクライナ危機(jī)を大きな國際的環(huán)境から観察すると、冷戦思考がいまだに根絶されていないことに気づく。ウクライナで危機(jī)が生じるたびに、大國間の強(qiáng)硬な対立が生じる。かつての「冷戦の碁盤」はもう存在しないにもかかわらずだ。
ウクライナ問題をめぐり、最近西側(cè)では様々な省察が聞かれる。「歴史を再び學(xué)ぶ必要がある」と、時(shí)代が変ったことを認(rèn)める聲もある。「冷戦の再來は誰も望んでいない」「冷戦は恐ろしい危険な行動(dòng)だ。(米露)雙方の指導(dǎo)者共に、一歩間違えば底知れぬ深淵に陥ることをはっきりと理解しているからだ」。「ウクライナで暴力と不安定が続いていくことはロシアの利益にも、全世界の利益にもならない」ことに気づいている人もいる。