2月21日晝、日本の成田國(guó)際空港は忙しい作業(yè)に追われていた。中國(guó)國(guó)際航空股份有限公司(CA)の大型旅客機(jī)が著陸すると、北京冬季五輪に參加した各國(guó)の選手、役員、記者、関係者ら216人が同空港に降り立ち、乗り継ぎをしてそれぞれの國(guó)に帰って行った。新型コロナウイルス感染癥対策のため、各種の旅行手続きは普段よりもずっと複雑だったが、CAのスタッフの取り組みにより、すべての手続きは整然と秩序よく進(jìn)められ、別の6つの航空會(huì)社の便への乗り継ぎ手続きは非常に迅速かつスムーズに完了した。こうしたプロセスを見屆けたCA日本支社長(zhǎng)?東京支店長(zhǎng)の馮力氏は、深い安堵のため息を漏らした。2021年8月の東京五輪から22年2月の北京冬季五輪までわずか半年しかなく、CA日本支社は「2つの五輪の輸送任務(wù)をともに保証する」という重責(zé)を擔(dān)った。この間に、感染癥の影響を努力して克服し、五輪の輸送保証に向け、安全で、質(zhì)の高い、高効率のサービスを提供した。人民網(wǎng)が伝えた。
2月21日、日本の成田國(guó)際空港に到著する中國(guó)國(guó)際航空のCA551便。(撮影?青城)
CAは五輪とたびたび縁を結(jié)ぶ 「両五輪の輸送任務(wù)保証」を全力で提供
中國(guó)が五輪ファミリーに復(fù)帰したその日から、CAは五輪と深い縁を結(jié)んできた。1984年には中國(guó)民航北京地區(qū)管理局の飛行大隊(duì)(當(dāng)時(shí)、現(xiàn)中國(guó)國(guó)際航空股份有限公司飛行総隊(duì)の前身)が新中國(guó)初の五輪代表団を乗せて米國(guó)?ロサンゼルスに到著し、中國(guó)は第23回夏季五輪に參加した。それから數(shù)十年にわたり、CAは中國(guó)五輪代表団の航空輸送の指定パートナーとして、五輪に向かう代表団を毎回運(yùn)んできた。08年の北京夏季五輪では、複數(shù)の五輪向けサービス保証の記録を打ち立て、航空旅客輸送部門のオフィシャルパートナーとしての約束を果たした。
馮氏は、「CA日本支社が短期間に相次いで2回の五輪の重要な保証任務(wù)を遂行することができたのは、まずCAに五輪の輸送保証で豊富な経験があったからだ。こうした経験を頼りにして、東京五輪の開催中は、感染癥対策を厳格に行い、保証サービスを細(xì)心に行い、歓送迎のイベントの質(zhì)を上げ、中國(guó)の選手たちの空の移動(dòng)を保証してきた。22年に北京が世界で唯一の夏季?冬季五輪開催都市になると、CAは再び五輪に協(xié)力し、1年もたたないうちに2回にわたって五輪に航空輸送サービスを提供する「両五輪の輸送任務(wù)保証」企業(yè)になった。
東京五輪の開催期間中、中國(guó)五輪代表団を熱烈に歓迎するCA日本支社のスタッフ。畫像提供はCA日本支社。
2月21日、搭乗口の電光掲示板にはCA日本支社のスタッフが心を込めて作成した「北京へようこそ 素?cái)长事盲摔胜辘蓼工瑜Δ恕工违幞氓哗`ジが表示された。(撮影?青城)
2月21日、北京冬季五輪金メダリストの谷愛凌選手の祖母が、CAのスタッフのサポートを受けながらボーディング?ブリッジを移動(dòng)する様子。(撮影?青城)
東京五輪の會(huì)期中、CAは中國(guó)五輪代表団の専用便を52便運(yùn)航し、関係者2830人を輸送した。中國(guó)籍の人が中心で、全員が中國(guó)を出発して日本に入國(guó)し、最後は中國(guó)に戻るという行程をたどった。一方、北京冬季五輪ではCA便に乗る旅客は片道の移動(dòng)が多く、國(guó)籍がばらばらで、第三國(guó)を出発して日本で乗り継ぎをする人が多いという特徴があった。こうした新しい狀況に対応し、五輪輸送任務(wù)保証を遂行するため、CAは在日本中國(guó)大使館と緊密に連絡(luò)を取り合った。同大使館の楊宇臨時(shí)代理大使は、北京冬季五輪の順調(diào)な開催に著実に協(xié)力し、五輪専用便やビザなどの面における保証を提供するため、CA日本支社をわざわざ訪れた。CAは東京五輪での航空輸送サービスの成功體験を北京冬季五輪と結(jié)びつけることを基礎(chǔ)として、北京冬季五輪の航空輸送の各種対応マニュアルをより著実に調(diào)整し、冬季五輪便の運(yùn)航を確保した。
感染癥の中で力強(qiáng)い保証 冬季五輪の安全を守ったCA
今回の北京冬季五輪には92ヶ國(guó)の3千人に近い選手が參加した。世界では感染癥がなお厳しい狀況にある中、CA日本支社は「全力を盡くし、1つの過失もないようにする」との要求を打ち出し、感染癥対策を著実に行うことを前提に、安心で、心にかなった、心地よい、心を揺さぶるサービス――「四つの心」というサービス理念を?qū)g踐し、航空便の運(yùn)航における安全保証を確かなものにした。
CAの五輪関係者を北京まで直通で運(yùn)ぶ國(guó)際便の運(yùn)航地點(diǎn)の1つとして、CAは日本エリアで開幕に先立って北京冬季五輪航空便保証チームを立ち上げた。チームは日本支社と東京支店の業(yè)務(wù)の中心を擔(dān)うメンバーで構(gòu)成され、馮氏が代表を務(wù)めた。毎日行われる朝の會(huì)は「CAパーソン」が共同で奮闘する上で欠かせないプロセスになった。
2月21日、CA東京支店が成田空港の拠點(diǎn)で朝の會(huì)を行い、五輪特別便のCA551便を迎える準(zhǔn)備をしていた。(撮影?李沐航)
CA東京支店の郝威?成田空港拠點(diǎn)マネージャーの説明によると、サービス保証業(yè)務(wù)が安全に秩序よく行われるようにするため、CAの成田空港拠點(diǎn)は事前に空港の各部門と防疫や出入國(guó)プロセスを細(xì)かく確認(rèn)し、責(zé)任を明確にして、業(yè)務(wù)を細(xì)心に実施した。歐米などの第三國(guó)から乗り継ぎをする旅客が多いという特徴を踏まえ、日本支社はCAの他の海外エリアにある機(jī)関と緊密な情報(bào)交換や協(xié)力関係を保ち、乗り継ぎプロセスを確認(rèn)し、防疫措置を?qū)g施し、特殊な荷物に注目し、各チェックポイントで遺漏がないようにした。同時(shí)に、航空便保証業(yè)務(wù)に関わるスタッフの感染癥対策と安全の教育を行い、基準(zhǔn)を満たした防疫裝備を必ず全身に著用することと、緊急対応マニュアルを制定することを求めたという。
2月21日、CA日本支社の馮力社長(zhǎng)(右)が北京冬季五輪航空便保証チームのメンバーと業(yè)務(wù)について打ち合わせをする様子。(撮影?李沐航)
北京冬季五輪では「バブル方式」の実施が必要になったため、CA日本支社は航空便運(yùn)航保証の最前線に立つ存在として、乗り継ぎをする大勢(shì)の外國(guó)籍の旅客に向き合うことになった。一方では中國(guó)に入國(guó)する時(shí)に必要な健康コード及び中國(guó)稅関出入國(guó)健康申告QRコードなど必要な材料を持っているかどうかを確認(rèn)しなけばならなかった。他方では旅客が預(yù)けた荷物がスムーズに載せ替えられるよう厳格に保証しなければならなかった。保証業(yè)務(wù)が完璧に行われるようにするため、CAのスタッフは航空便の到著に先立つ準(zhǔn)備の段階で、乗り継ぎ旅客の情報(bào)と載せ替える荷物の情報(bào)をあらかじめ他社のスタッフとしっかり共有し、すべての預(yù)入荷物の詳細(xì)を十分に把握するようにした。複雑な手続きに直面して、旅客の中には言葉が通じないことから不安な様子を見せる人もいたが、全員が順調(diào)に登場(chǎng)することができ、最後には感謝の言葉を口にした。感謝の言葉を聞くたび、CAのスタッフは心の底から達(dá)成感を感じたという。
五輪便の保証の達(dá)成を確保 「CAパーソン」バックグラウンドで黙々と盡力
東京夏季五輪と北京冬季五輪は半年ほどしか間隔がなく、CA日本支社と東京支店のスタッフは全員、連続して「戦闘」に送り込まれたような狀況だった。
2月21日、人民網(wǎng)の取材に答えるCA東京支店の成田空港拠點(diǎn)所屬の航空整備士の張淼さん。(撮影?李沐航)
CA東京支店の成田空港拠點(diǎn)所屬の航空整備士の張淼さんは、「自分には子どもが2人いて、みんな中國(guó)にいる。もう2年以上家に帰っていない。家族はいつも自分のことを心配しているし、自分もいつも家族のことを思っている」と話した。感染癥の初期には、感染リスクを減らすため、スタッフは自発的に移動(dòng)を減らすようにした。東京五輪が開幕すると、これがCAの重點(diǎn)保証任務(wù)であることを考えて、張さんは帰國(guó)休暇を取る機(jī)會(huì)を放棄し、日本にとどまって仕事を続けた。すぐに北京冬季五輪が開幕し、張さんは2-3ヶ月にわたって忙しい日々が続いた。航空整備士自身の防護(hù)用品の配備から、コックピットの消毒に関する各種狀況のマニュアルの整理、さらには消毒用品の使い方の研修まで、航空整備の作業(yè)プロセスの特殊性によって生じた作業(yè)モデルの変化を上に報(bào)告することから、作業(yè)の質(zhì)に対する要求にどのように応えるかについての航空整備部門のトップとのやりとりまでに至り、張さんは現(xiàn)場(chǎng)の監(jiān)督責(zé)任者として、大きな事から小さな事まですべてにわたって忙しく働いた。「どの航空便にも重點(diǎn)的な保証作業(yè)が必要なので、繁忙期が終わった後で休暇を取って帰國(guó)することを考える」と話す張さんは、家族に対してすまない気持ちや會(huì)いたい気持ちでいっぱいになりながらも、しっかりと現(xiàn)場(chǎng)を守り続けた。
2月21日、人民網(wǎng)の取材に答えるCA東京支社の成田空港拠點(diǎn)旅客係の高橋靖弘係長(zhǎng)。(撮影?李沐航)
CA東京支社の成田空港拠點(diǎn)所屬の日本人社員の高橋靖弘さんは長(zhǎng)いキャリアを持つ「CAパーソン」だ。中國(guó)と中國(guó)文化が好きなことからCAに就職し、今年で18年目を迎えた。現(xiàn)在は航空便を現(xiàn)場(chǎng)で指揮する業(yè)務(wù)のほか、同拠點(diǎn)を代表して空港の三関(出入國(guó)検査、稅関、検疫)定例會(huì)合に出席し、CAと三関との業(yè)務(wù)交流を擔(dān)う。日本に入國(guó)しようとする旅客にPCR検査の証明書やビザなどの書類の不備があって、スムーズに入國(guó)できないという事態(tài)を防ぐため、高橋さんは検疫部門としばしばコミュニケーションをはかり情報(bào)交換をして、入國(guó)に関する最新規(guī)定の情報(bào)を速やかに入手して中國(guó)國(guó)內(nèi)の関連拠點(diǎn)に伝えている。高橋さんは、「21年と22年に東京と北京で相次いで五輪が開催され、これはCAのスタッフにとっては非常に大きなプレッシャーだった。感染癥が蔓延していたため、空港の関連規(guī)定が隨時(shí)変更になり、毎日変わるということもあり、業(yè)務(wù)が以前よりも煩雑で細(xì)かくなった。しかし私たちにとって、苦労はなんでもない、安全が第一だ。同時(shí)に、航空便の正確な運(yùn)航を確保することが大切なのだ。私たちが対応した旅客は成田に著くと乗り継ぎをする人が多かったので、すべての旅客とその攜行する荷物が安全に北京に到著するよう確保しなければならなかった。これが私たちの最終的な目的だった」と振り返った。
2月21日、防護(hù)服を著用して旅客を出迎える準(zhǔn)備をしているCAのスタッフ。(撮影?李沐航)
通気性のない防護(hù)服を著て、服の中は汗びっしょりになりながら、両五輪を保証する業(yè)務(wù)の現(xiàn)場(chǎng)で働く日本支社の「CAパーソン」の姿が、空港のあちらこちらで見られた。彼らは五輪選手ではなく、五輪を映すスクリーンにその姿が映ることはない。しかし常に第一線の現(xiàn)場(chǎng)を堅(jiān)く守り、北京冬季五輪と北京冬季パラリンピックに向けた安全な運(yùn)航のために、また選手たちの出陣と凱旋のために、黙々と力を盡くし、五輪モットーの「より速く、より高く、より強(qiáng)く、ともに」を心に刻み、金メダル級(jí)の貢獻(xiàn)で冬のオリパラ物語を紡ぎ続けた。(編集KS)
「人民網(wǎng)日本語版」2022年3月7日