初秋、標(biāo)高2000メートル以上の雲(yún)南省漾濞彝(イ)族自治県蒼山西鎮(zhèn)光明村には、「雲(yún)よりも高い」土地約670ヘクタールに植えられたクルミの木の林が広がっていた。このクルミ林には、100年以上の古木も6000本以上ある。漾濞の森林率は83%に達(dá)し、クルミは県の支柱産業(yè)だった。しかしここ數(shù)年、乾燥クルミは1キログラム30元(1元は約15.9円)以上から10元程度まで暴落し、光明村は発展戦略を転換し始めた。村內(nèi)の美しい自然環(huán)境を利用し、エコツーリズムを展開(kāi)し始め、村內(nèi)のどの世帯も観光産業(yè)に攜わるようになった。人民日?qǐng)?bào)が伝えた。(文/人民日?qǐng)?bào)記者 徐元鋒)
入口には赤い燈籠が下がり、建物の中ではテーブルがいくつか食事客で埋まり、農(nóng)家民宿ツアーを経営する李斌さんは忙しく働いていた。李さんは30代前半。以前はネットでクルミを売っていたが、現(xiàn)在は農(nóng)家民宿ツアーを経営している。李さんの起業(yè)の経歴は、光明村の発展戦略の転換を象徴している。
光明村の農(nóng)家を改裝した民宿の一角(畫(huà)像?人民網(wǎng)雲(yún)南チャンネル)。
以前、この村は交通が不便で、村民の生活は苦しかった。しかし2008年、光明村に舗裝道路が通り、クルミ祭りを開(kāi)催。その後、クルミの価格はどんどん上がり、村民の生活は改善された。
2014年、李さんは光明村に戻り、電子商取引でクルミの苗木と農(nóng)産品を販売するようになった。その頃、クルミの価格はすでに下がり始めていた。クルミの収穫は高所での作業(yè)であるため、専門(mén)の業(yè)者に頼まなければならない。その費(fèi)用は安くないため、クルミを売ってもクルミの収穫コストを回収できない農(nóng)家もあった。
2015年から、光明村では観光開(kāi)発企業(yè)を誘致して農(nóng)村エコツーリズムを展開(kāi)し始めた。2019年、村の観光収入は200萬(wàn)元近くに達(dá)した。2019年、李さんも農(nóng)家民宿ツアーを始めた。
光明村の農(nóng)家を改裝した民宿(撮影?虎遵會(huì))。
光明村の近年の発展を振り返ってみると、地元政府の支援が欠かせなかった。2008年から、漾濞県では光明村を?qū)澫螭摔筏骏抓恁弗Д趣啶胜辍ⅳ饯欷蓼扦胜盲看澶蔚缆肪W(wǎng)や駐車場(chǎng)、景観トイレなどの施設(shè)が新たに建設(shè)された。漾濞県委員會(huì)宣伝部の光明村駐在貧困者支援幹部である楊欣さんは、「農(nóng)村インフラの不足を解決して初めて、村の美しい自然環(huán)境を外部に知ってもらえる」と語(yǔ)る。
エコツーリズムを始めたばかりの頃、光明村にはプランや専門(mén)の運(yùn)営理念が不足していたため、発展は今一つ進(jìn)まなかった。しかし観光開(kāi)発企業(yè)を誘致し、現(xiàn)代化された景勝地を徐々に建設(shè)していくにつれて、観光客數(shù)も大幅に増えていった。
観光企業(yè)の運(yùn)営の下で、光明村は「雲(yún)上四季花海」や「草坪珈琲館」などを建設(shè)した。鶏茨坪グループ周辺の農(nóng)家73軒では、75人が自宅近くで働けるようになり、収入は180萬(wàn)元以上増えた。また、10ヘクタールの土地経営権で株式參加、貸出、転用などの形式で企業(yè)に提供し、農(nóng)家42軒の収入は計(jì)400萬(wàn)元以上になった。
2018年9月1日、「中國(guó)クルミの郷」である雲(yún)南省漾濞彝族自治県が同県光明村で開(kāi)催したクルミ狩りとクルミの神様を祭るイベントの様子(撮影?李発興/寫(xiě)真著作権は人民図片が所有のため転載禁止)。
取材で訪ねた際、村の黨総支部の楊雪明書(shū)記は「クルミづくしの宴會(huì)料理」の作り方を?qū)Wぶ村民の數(shù)を集計(jì)している最中で、「60人の枠が2日で埋まってしまった」とその人気ぶりに感嘆していた。楊書(shū)記によると、漾濞県政府は無(wú)償の各種訓(xùn)練カリキュラムを企畫(huà)し、村民が観光サービスのレベルを高めるサポートをしている。楊書(shū)記は、「村民の言葉遣いや立ち居振る舞いも変わってきている。以前は観光客を避けていたが、今は外部の人と交流したがるようになった」と感慨をもらす。
光明村村委員會(huì)の魏定奎主任は、「以前は村民の會(huì)議を開(kāi)いても人が集まらなかったが、今は會(huì)議の通知をしないとその家から苦情が來(lái)る。何か重要な情報(bào)を聞き逃さないか心配で、1軒から2人來(lái)たこともある」と話す。
クルミ園グループの一員である村民の楊建さんは、光明村生態(tài)管理委員會(huì)の副主任であると同時(shí)に、山を守る監(jiān)視隊(duì)の隊(duì)長(zhǎng)でもある。楊さんは、「今では、動(dòng)物の密猟や林木の不法伐採(cǎi)といった行為も鳴りを潛めた。環(huán)境保全のために樹(shù)木の伐採(cǎi)を一定期間禁じた後、荒れ地に木が育ち、キョンやキジ、ヒグマなどをよく見(jiàn)かけるようになった。光明村では金安寺と小花園という2つの検査所を設(shè)けて、9人の監(jiān)視隊(duì)員が當(dāng)番制で山をパトロールし、人が勝手に山に入って土や石を取っていかないようにしている」と説明する。
楊さんが所屬している生態(tài)管理委員會(huì)は、光明村の8つの委員會(huì)による村の管理體制である「八委治村」委員會(huì)の一つだ。光明村は村民を動(dòng)員し、河川水源、道路交通、民俗習(xí)慣、環(huán)境衛(wèi)生、生態(tài)管理、企畫(huà)管理、住民調(diào)停、治安警備の8つの委員會(huì)を設(shè)立し、熱心な村民が委員を務(wù)めている。
光明村観光開(kāi)発企業(yè)の責(zé)任者である吉小冬さんは、「村が規(guī)範(fàn)を設(shè)けて管理をするようになり、村の景観が改善された。優(yōu)れた自然環(huán)境は空気と同じように大切だ」と述べた。(編集AK)
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2020年12月7日