中國共産黨建黨から今年で95年になる。95年間、中國共産黨は中國の獨立自主と富強繁栄のために多大な貢獻を果たし、中國民衆の福利を図るだけでなく、國際人道精神を発揚し、特殊な歴史的原因により苦境に陥った人々に援助の手を差し伸べてきた。7月1日の建黨記念日を前に、日本の殘留孤児であり、中國帰國者?日中友好の會理事長である池田澄江さんを取材した。池田さんは「殘留孤児に対する中國共産黨の恩は山のように重い。殘留孤児は恩を知り報いるべきです」と語った。人民網が伝えた。
今年72歳の池田さんは日本人の両親のもと、中國東北部で生まれた。1945年に敗戦、降伏すると、日本人は大規模に中國から撤退した。わずか10カ月の池田さんは生母から黒竜江省牡丹江市の中國人家庭に引き渡された。中國の養父母は池田さんとても大切にし、勉強させ、成人になるまで育て上げた。
人道的観點から、中國は日本の殘留孤児に多くの配慮をし、帰國を望む殘留孤児に多くの便宜を図った。1981年、37歳になっていた池田さんは子どもを連れて帰國し、日本の家族を捜した。思いもよらない多くの困難を経て、52歳の時についに家族と再會した。
日本に帰國した殘留孤児の多くは言葉が通じず、良い仕事がないことなどから貧しい生活を過ごしていた。善良で正義感に富む池田さんは自らの家族を捜すと同時に、殘留孤児全體の権益を守るために奔走した。池田さんは帰國殘留孤児を率いて原告団を結成し、日本政府に対して殘留孤児への相応の福利措置を求め、2008年10月についに日本政府から支援金を勝ち取った。
池田さんによると、実は2007年に殘留孤児原告団は敗訴した。だが帰國殘留孤児の狀況は中國を含め幅広い関心を集めた。2007年、中國の溫家寶総理(當時)は日本の國會で演説した際に殘留孤児に言及し、彼らが中日交流に発揮した重要な役割を評価した。これも帰國殘留孤児に対する日本の関心を高めた。帰國殘留孤児が最終的に日本政府の支援金を獲得する上で、溫前総理の國會演説が大きな鍵になったと池田さんは考えている。
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