國家公文書局は9月6日、『中國侵略日本人戦犯供述書選』(二十七)日本人戦犯?野澤文平を公式ウェブサイトで公開した。
1954年8月20日の供述書によると、野澤は1920年に埼玉県で生れた。1940年に中國侵略戦爭に加わり、1945年8月に捕虜になった。重要な罪行には以下のものがある。
1941年9月、山東省萊蕪県で山岳に避難した中國平和農民40歳位1名に対して小銃弾3発を発射し、射殺した。
1941年9月、萊蕪県で各中隊が部落戸數100戸に対して放火した際、屋內にいた老人病人子供を含む平和農民50名を放火と共に焼き殺した。野澤は2戸の家屋に放火して、50名中の1名、家屋內の寢臺に寢ている老婆を焼き殺した。
1942年9月、山東省章丘県で仲間と監禁した中國農民3名を連行し穴を掘った前に座らせ、仲間2名が軍刀で2名を斬首殺害し、野澤は銃剣で1名を刺殺した。
1943年10月、山東省懐仁鎮付近で連行した中國農民に対して獣醫官が軍刀で1名を斬首し、他の8名は初年兵に銃剣で刺殺させた。野澤は隊員に命令して中國平和農民9名中1名を刺殺させた。
1943年6月~1944年3月、山東省楽陵県で21~23歳位の中國婦女2名を15回強姦した。(編集NA)
「人民網日本語版」2015年9月10日